A Day in the LIFE ---あれから1年---

昨年の今日は温熱講習会で東京赤坂のビル6階で講習会の真っ最中でした
講師の野池政弘さんは阪神淡路大震災の経験者
揺れ始めのうちは「阪神淡路に比べたらたいしたことないなぁ」と話していましたが
揺れが本格化すると「これはヤバい!」に変わりました
揺れるたびに窓ごしに隣のビルとぶつかりそうになってるのが見えました
間違いなく未体験の規模の地震が発生したと覚悟しました
ビルを出るとそこは国道246号線で、路上には人があふれていました
通りの並びでは鹿島建設の本社ビルの解体工事を行っており
ビルの屋上には解体用重機がセットされていました
クレーンのアームが余震のたびに大きく揺れ、路上はそのたびにざわきました
しばらくして、勇気あるオペレーターが余震の続く中、クレーンのアームを下げたことで
揺れはかなり納まったように見え、ホッとしました
あの状況下での判断はファインプレーだったと思います

i-phoneを持ってる人はTwitterで情報収集をして、ガラケーだった僕はワンセグで
NHKで情報収集していました
すでに携帯電話はつながらず、かろうじて公衆電話がつながったため、数年ぶりに
取り出したテレホンカードで家族の安否と会社への連絡ができました
今ならすぐに宿の手配をしますが、なぜかあのときは家に帰らなくては
という思いから246号線を歩くことに決めたのでした

赤坂から自宅方面は国道246号線をひたすら西へ歩くのみです
渋谷まで出ればなんとかなる、の思いからひとまず渋谷まで1時間ほど
到着してみるとバスロータリーは人・人・人
とてもバスには乗れそうもありません
次はとりあえず二子玉川まで向かいました
国道246号線は片側3車線で道幅が広く、降った雨水が歩道に溢れないように
歩道と道路の高低差が通常の街中の倍以上の落差がありました
また歩道には点字ブロックが整備されていて、この段差と点字ブロックの凸凹が
ソールの薄い革靴越しに足にダメージを蓄積しました
二子玉川に着く頃には足はかなり痛んでいました
案の定西行きのバスはなく、田園都市線沿いに高津駅まで歩きました
この先は長い登り坂が続き、足の状態から判断してとてもこの先を歩ききれないだろう
という予測があったことと、田園都市線の運転再開に期待してのことです
駅前のマクドナルドには帰れない人たちでいっぱいでしたが、どうにか座ることができました
すでに携帯電話の電池は切れてしまっていましたので、持参してきていたノートPCを立ち上げ、ネットニュースを見て、この震災の規模を知ったのでした
ほどなくして田園都市線の運航再開がHPにアップされたので、店内の人に声をかけ、一番列車に乗って家に着いたのは0時半を回っていました

3月11日からゴールデンウィーク明けくらいまでは、精神的なダメージから立ち直ることができず、仕事をしていても苦痛だったのは、放射性物質の子供たちへの影響でした
今でも安心できる食事を子供たちに与えられているのか半信半疑なのが正直なところです

国民の程度に合った政治しか持つことはできない、と言います
ビジネスでは政治を語るなかれ、と言います
政治的信条が違うと破談してしまうからです
それもそうだと思いますが、かといってあらゆる場面でタブー視する必要もないわけで
僕が学生の頃は政治の話をすると、すぐ学生運動やってんの?というような反応をするようなムードがありました
なんだかアブない人とでも言うか・・・

僕自身、原発が爆発して初めて日本にこんなに原子力発電所があったと知りました
そういう人多かったんじゃないかな、と思います
賛成反対の二元論だけではなく、僕らはもう少し真剣にこの国のあり方、もっと身近な地域のあり方に目を向けて、話しあっていかなければいけないんじゃないかな
そう思うようになりました
仕事を通じて本当の意味で地域に貢献できることを、もっともっと考えていきたいと思いますし
そういう気持ちを会社のスタッフに伝えていき、一人ひとりが会社単位でできる地域貢献について主体気に考えられるようになってほしいなと思います

東日本大震災の当日の個人の記録と、これからのあり方、そして会社のあり方を日記にしてみました

末筆になりますが、東日本大震災に被災されたすべての人にお見舞い申し上げます
そして残された僕たちが協力してこの国の未来を明るくしていきましょう
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by omsolar | 2012-03-11 14:47 | A Day in the LIFE